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ワタシとキレイ

ちょっとだけ身体の弱い私の美容ブログ。

【3.11】あの日歩いた2駅は、ひどく長くて遠かった

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こんばんは。ジムで太ももを鍛えすぎて筋肉痛を起こしている私です。

トレーニングマシンも使いやすく、日々少しずつではありますが運動量も増えてきているのできっと1ヶ月もしたら「来年の東京マラソン狙うぞ!」とか言っているかもしれません。時期尚早。

 

さて、今日3月11日は東日本大震災が発生した日。

あれからもう6年も経つんですね。

東北地方に襲いかかった強い地震、そして大津波

あの日を境に東北…いや日本中が大きく変わったような気がします。

 

これから話すのは、そんな”震災”を境にライフスタイルが変わった1人の女子高生(当時)の些細なエピソードです。

 

 駅のホームが波打つ恐怖

 

6年前の3月11日。私は高校の定期テストを一夜漬けでこなし、帰りに新しいウォークマンを買いに都内の繁華街に繰り出していました。

無事にウォークマンも買えてウキウキしながら東京メトロの改札を抜けてホームに入った瞬間、震度5弱の揺れに襲われました。

緩やかにカーブの掛かった駅のホームが上下に波打ち、いつも乗っている電車が緊急停止したまま上下に揺れていました。

当然、天井もガタガタ揺れて電気も点いたり消えたり。立て看板みたいなものは全滅でした。

 

「ああ、私きっとここで死ぬんだ」

 

結果無傷で帰宅しましたが、当時は本気で「死ぬかも」と思っていました。

人生で初めて「死」を覚悟した瞬間だったような気がします。

 

「誰にも頼れない」と悟り、徒歩帰宅を決意

 

間も無くホームへの入場制限がかかり、ホームにいた私たちは改札外に出ることを余儀なくされました。

その途中の比較的急な階段を登っている最中にも強い地震に襲われ、手すりに全体重をかけて必死に身を守ったことも鮮明に覚えています。

階段も波打っていましたからね。

 

改札の外には行き場を失ったサラリーマンやOLなどがごった返し、正直安全と言えるような感じではありませんでした。

もちろんホームに留まるよりは断然マシですけどね。

そして地下の人ごみをかき分け、帰宅しようと思い地上に出たのです。

 

「バスは動いてるはず!もしダメならタクシーでも拾おう!」

 

…当然バスは来ず、タクシー乗り場には長蛇の列。

ちなみにここから最寄り駅までは2駅。

あの日、県境を越えて何時間も歩き続けた人が大勢いたことを考えると”たった2駅”と思うかもしれません。

しかし当時私はこの街に引っ越して来てから日が浅く、土地勘はゼロに等しい状態。

立派な帰宅困難者です。家に帰れるかどうかも正直賭けでした。

 

「私、この街のこと全然知らないんだ!」という衝撃

 

幸い、道選択は間違えなかった私。しかし歩いたことのない道を永遠と歩かされるのはなかなかキツいものがありました。

その間も幾度となく余震に襲われ、そのたびに道端にいる人たちも頭を守ったり重心を低くしたりと各々必死で身を守っていました。

街の人たちは驚くほど冷静でしたが、外国人観光客のお兄さんたちは口々に「オーマイガー!」などと叫んでいたのも印象に残っています。

(お兄さんわかるよ…慣れない土地で大きな地震に遭遇したら叫びたくもなるよね…)

 

大きな余震が来るたびにガタガタと揺れる電柱やビルの窓ガラス、明らかにここ1時間のあいだに傾いたと思われる古い公衆電話…そして見たことのない道。

この地獄のコンボをなんとか切り抜けた頃には少し日が傾いていました。

 

あの日は無事に帰れたからよかったものの、「こんなにも土地勘がないなんて…」と自分の地元に対しての無知にショックを受けてしばらく鬱ぎ込んでいたような気がします。

 

あの日を境に”積極的に歩く”習慣が身についた

 

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あの未曾有の大震災を経て、私は学校やバイト先から歩いて帰れるようになりました。

それだけでなく東京の名所やよく知らない街に繰り出しては徒歩で帰るという、なんとなく「何かあった時に...!」という強迫観念のような何かが働いているような感じもありました。

大学に入ってすぐに大学から家まで4時間かけて20㎞歩き倒すミッションをクリアしたり、職場から乗り換えの駅まで歩いたり。

ハザードマップが配られると「ここの道歩いたことある!」のオンパレード。

今では知らない道を歩くのはそこまで苦じゃなくなっています。

 

実際、都内の道を歩いてみると

「ここはちょっと危ないかも」

「うわ、工事中じゃん!」

「ここは震災のときに場所解放してたな」

などといった発見があったりします。

これらが知識として備わり、いざという時にもテンパらずに行動できるようになるのは強みですよね。

(そういえば田園都市線が止まったときに渋谷まで歩いたこともあったなぁ)

 

あの日の体験を教訓として活かすことで震災関連のものを少しずつ受け入れていった節もあったかも。

 

少なくとも私の中では全く風化していない

 

あの日起きたことは今でも鮮明に覚えています。

駅のホームが波打って本気で「死」を覚悟したことも、地元なのに全く土地勘がなくて帰宅がつらくてしょうがなかったことも、そしてテレビに映る悲惨な映像も…

日々いろいろなことを覚えては忘れていくけれど、あの日のことだけはどんなに歳を取っても忘れられない気がします。

 

震災を経て価値観やライフスタイルが変わった私。

それだけ2011年3月11日は今も私の心に大きな爪痕を残しているのです。

もしかしたら今読んでくれているあなたの中にも、あの日以降何かが変わったなと思うことがあるかもしれません…?